現場に出る社長なら、脚立から降りるときに足をひねることも、配送先で荷物を持ち上げて腰をやることもあります。従業員なら、迷わず労災の手続きに進みます。では、社長が同じことをしたら、どうなるのでしょうか。
意外な事実があります。社長(法人の代表者)は、原則として労災保険の対象外です。労災保険は「労働者」のための保険で、社長は労働者ではないからです。ただし、入り口は2つあります。ひとつは「特別加入」という制度で、もうひとつは、小さな会社に限って使える健康保険の例外です。
この記事では、2026年10月時点の厚生労働省の資料をもとに、特別加入の条件と手続き、保険料の計算例、使える場面と使えない場面を整理します。自分の会社がどの入り口に当てはまるか、人数を数えれば分かるところまで持ち帰れます。
野村證券のリテール営業で全国約7,000名中1位を4度。いまは代理店開拓で中小企業の販路をつくる会社「コミッターズ」を経営しています。川口です。
先に結論
- 従業員(パート・アルバイトを含む)は、労災保険の対象です。社長・役員・家族従事者は「労働者以外」なので、原則は対象外です。
- 社長が労災に入るなら「特別加入」です。従業員を常時使っている中小事業主が対象で、労働保険事務組合に事務を委託します。
- 従業員が10人以下の会社なら、どの業種でも、会社の規模の基準に収まります。
- 健康保険の被保険者が5人未満の会社の役員は、従業員と同じ内容の仕事でのケガなら、健康保険の対象です(2013年10月1日以後のケガ)。
- 被保険者が5人以上で特別加入もしていない会社の社長の、役員としての仕事中のケガは、原則として労災からも健康保険からも出ません。
社長が対象外の理由と、特別加入の条件
労災保険は、仕事中や通勤中のケガ・病気に備える国の保険です。守られるのは労働者で、厚生労働省の資料にも「労働者は労災保険で保護される」「特別加入の対象は労働者以外の人」と書かれています。
では、誰が労働者でないのでしょうか。
- 従業員(パート・アルバイトを含む):労働者です。労災保険の対象です
- 社長(代表者)、役員、家族従事者:労働者以外です。原則は対象外です
- 工場長や部長などを兼ねている役員:労働者と認められることがあります。判断が分かれるので、労働基準監督署に確認してください
社長が労災に入るための入り口が、特別加入です。中小事業主等として入れる条件は、次のとおりです。
- 常時使っている労働者の数が、金融・保険・不動産・小売業は50人以下、卸売・サービス業は100人以下、その他の業種は300人以下です
- 労働者を通年で雇っていなくても、1年間に100日以上使っていれば、常時使っているものとして扱われます
- 従業員について、労災保険(労働保険関係)が成立しています
- 労働保険の事務処理を、労働保険事務組合に委託しています
労働保険事務組合は、事業主から委託を受けて労働保険の事務を処理する、厚生労働大臣の認可を受けた中小事業主等の団体です。団体によっては入会金や委託手数料がかかるので、先に確認します。近くの事務組合は、労働基準監督署に問い合わせると分かります。
手続きの流れは、次のとおりです。
- 1従業員について、労災保険が成立していることを確認する
- 2労働保険事務組合を探して、労働保険の事務を委託する
- 3社長本人と、仕事を手伝っている家族や役員を、全員まとめて申請の対象にする
- 4業務の内容と業務歴、希望する給付基礎日額を申請書に書く
- 5事務組合を通して申請し、労働局長の承認を受ける
承認の日は、申請の日の翌日から30日以内で、申請した人が希望する日になります。なお、病気療養中や高齢などで、実際には事業に関わっていない人は、理由書をつけて対象から外せます。
ただし、従業員を使う日数が1年間で100日に届かない会社は、中小事業主等としては入れません。社長1人の会社が、この入り口を使えないのは、そのためです。一人親方などとして別の特別加入に当てはまる場合もあるので、労働基準監督署で確認してください。
保険料と給付を、仮の数字で
保険料は、給付基礎日額から計算します。給付基礎日額は、休業したときの給付額などの基準になる金額です。3,500円から25,000円までの16段階から選び、労働局長が承認した額が決まります。
- 保険料算定基礎額:給付基礎日額×365日
- 年間保険料:保険料算定基礎額×保険料率
- 保険料率:その事業の労災保険率と同じ率(令和8年度は令和7年度と同率)
仮の例です。従業員3人の小売店で、社長と、店を手伝う配偶者の2人が、給付基礎日額1万円で加入するとします。
- 11人あたりの保険料算定基礎額:1万円×365日=365万円
- 22人分の合計:730万円
- 3小売業の労災保険率:1,000分の3
- 4年間保険料:730万円×3/1,000=2万1,900円(1人あたり1万950円)
同じ条件で、建築事業(労災保険率は1,000分の9.5)なら、730万円×9.5/1,000=6万9,350円です。業種が変わると、保険料は大きく変わります。年度の途中で入ると、加入月数に応じた月割りになります。事務組合に払う手数料は、これとは別です。
給付の例も見ておきます。給付基礎日額が1万円で、20日間休業したとします(厚生労働省の資料にある計算例です)。
- 休業4日目から、1日につき給付基礎日額の60%(6,000円)が、休業補償給付として出ます
- 加えて、休業特別支給金が20%(2,000円)出ます
- 休業4日目から20日目までの17日分で、合計13万6,000円です
- 治療は、労災病院や労災指定病院などで、必要な治療が無料で受けられます
特別加入者の休業給付は、収入が減ったかどうかではなく、補償の対象になる範囲の仕事が全部できない状態かどうかで見られます。
給付基礎日額を低くすれば保険料は安くなりますが、休業したときの給付も少なくなります。変更したいときは、3月2日から3月31日に変更申請書を出すと、翌年度から変わります。労働保険の年度更新の期間中にも、当年度分の変更ができます。どちらも、ケガの前に出すことが前提です。
対象になる場面と、ならない場面
特別加入すれば、何でも出るわけではありません。業務災害として扱われる主な場面は、次のとおりです。
- 従業員の所定労働時間内に、申請した業務をしているとき(事業主の立場で行う仕事を除きます)
- 従業員の残業や休日出勤に合わせて働くとき
- 就業時間の前後に、準備や後片づけを社長だけでするとき
- 事業の運営に直接必要な出張のとき
- 通勤中のケガ(通勤災害は、一般の労働者と同じ考え方で判断されます)
反対に、給付が出ない、または制限される場面もあります。
- 株主総会への出席のように、事業主の立場で行う仕事
- 特別加入の前に発症した病気や、加入前の原因で発症した病気
- 特別加入していない別の事業の仕事(社長が2つの会社を持っている場合)
- 本人の故意や重大な過失によるケガ、保険料を滞納している間のケガ(全部または一部の給付が制限されることがあります)
もうひとつ、見落としやすい点があります。業務内容や家族従事者の変更は、届出が必要です。ケガをしたあとに変更届を出しても、すでに起きたケガの給付には反映されません。
従業員が少ない会社の例外:健康保険が使えるケース
ここからは、特別加入に入っていない社長の話です。健康保険は、仕事とは関係のない病気やケガに使う保険です。法人の役員が役員としての仕事で負傷した場合は、原則として対象外になります。厚生労働省は、役員の業務上の負傷は使用者側の責任なので、労使折半の健康保険から出すのは適当でない、という考え方を示しています。
しかし、小さな会社には例外があります。
- 対象:健康保険の被保険者が5人未満の適用事業所で働く、法人の役員
- 条件:従業員が従事する業務と同一と認められる仕事での負傷であること
- 給付:傷病手当金を含めて、健康保険の対象になります
- 時期:2013年10月1日以後に起きた事故から
たとえば、社長と従業員3人が健康保険に入っている内装工事の会社(仮の例です)なら、被保険者は4人です。社長が従業員と同じ現場作業で脚立から落ちたなら、健康保険の対象になります。一方、従業員がしていない仕事での負傷は、同一の業務と認められず、対象外になることがあります。どこまでが同じ仕事かは、加入している健康保険の窓口で確認しましょう。
ここで注意したいのが、人数です。従業員を1人採用して、被保険者が5人になった時点で、この例外は使えなくなります。採用を決めるときに、社長のケガの備えも一緒に見直すと、穴ができません。社会保険に入る人の数え方は、こちらの記事にあります。
社長1人の会社でも、社会保険は入る?「法人」だと答えが決まっています
今日からできる最初の一歩
次の順に、紙1枚で整理しましょう。
- 1健康保険に入っている人数を数える(社長も1人に数えます。パートで加入している人も含みます)
- 25人未満なら、社長の仕事のうち、従業員と同じ内容のものに印をつける
- 35人以上、または、従業員と違う仕事が多いなら、特別加入を検討する(労働基準監督署で事務組合を教えてもらう)
- 4すでに特別加入しているなら、給付基礎日額が今の収入に合っているかを、3月の変更期間の前に見直す
営業の目線でも、ひとつ考えてみてください。社長が3週間、現場にも商談にも出られなくなったとき、売上は止まるでしょうか。取引先の連絡先、見積の単価、納品の段取りが社長の頭の中にしかないなら、それが一番の穴です。お金の備えだけでなく、紙1枚にして共有しておくと、休んでも商いが止まりません。
売上が落ちた年にお金の備えをどう作るかは、こちらの記事にあります。
売上が落ちた年に社長を守る2つの共済。攻めの営業を止めない守りの順番
運営元:コミッターズ
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参考(外部サイト):厚生労働省、厚生労働省(2)、厚生労働省(3)、厚生労働省(4)、厚生労働省(5)、厚生労働省(6)
※一般的な解説です。個別のケースは顧問税理士・社会保険労務士・弁護士などの専門家にご相談ください。